「食えるアーティスト」をどう育てるか〜椿昇氏に聞く

 

 僕は全身が闇みたいな子だった

——若い頃はなぜ女子校の先生になろうと思ったのですか。

「なんで先生になったかと言うと、楽をして絵が描きたかっただけ。収入を確保しつつ、夏休みとかに作品を作って生きていこうと思った。うつ病を患っていたし、30メートル走ったら発作を起こすくらい不健康だったんだけど、何とかごまかして健康なフリをしたらたまたま受かった。京都での学生時代は絵を描いてばっかりで精神を病んでいたけど、女子校の先生になって神戸に移ってからだんだん気分が晴れてきた」

「病気の時は、先生をやっている自分を責めていた。非常勤講師の友達がアートに没頭しているのを見て『なんで俺はこんなことしているんやろう』って。ある日ふっと思い返って、女子校の先生をしていることを作品にしようと思った。生徒と一緒に作品を作り出してから、それまで自分にとってマイナスの時間だった学校にいる時間も、全部作品の時間になった。『俺の生きてることは全部アートや』と思えるようになった」

——以前、他の芸術家の方との対談で「アートには闇が必要」と話しておられましたが、今は非常にポジティブな考え方をされているように見えます。

「僕はもともと性格が暗くて体が弱くて、全身が闇みたいな子だった。それを表現という形に込めてポジティブに変えてバランスがとれたんだと思う。アートをやっていなかったらノイローゼで死んでたかもしれない。アーティスト全員に必要だとは全然思わないけど、僕は闇が好き。ゴッホの絵だって狂った絵でしょう」

「ただ単に明るいだけの奴はすぐへこんでしまう。アーティストとして生きる子には、描き続ける、苦労を乗り越えていく力がいる。野球で言う地肩の強さのような、精神的な骨太さが必要。めちゃくちゃ明るく見えても実は苦労した経験をしっかり持っている、そういう人間にプロジェクトを任せたい」

(文:荒木勇輝、写真:吉田亮人)

椿氏プロフィール写真

【プロフィール】

つばき・のぼる
1953年京都府生まれ。京都市立芸術大学美術専攻科を修了後、80年代から現在まで、現代美術家として作品を発表。24年間、松蔭女子学院中学・高校の美術教師を務めた経験を持ち、現在は京都造形芸術大学の美術工芸学科長としてアーティストを目指す学生を指導している。

 



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