変わり者だった僕が社会起業家になった理由〜今井紀明氏に聞く

 

 事件後は応援されるのも苦しかった

——イラク人質事件後に多くの人にバッシングされたことで、対人的に不安を抱えていた時期もあったそうですね。

「対人恐怖症と言っても軽い方だったと思いますが、言われたくない『NGワード』がいくつかありました。応援されるのが苦しくて、頑張ってとか声をかけられるとその人としゃべれなくなりましたし、『今井さんの本を読みました』と言われると冷や汗が出ましたね。そんな状態が事件の後は4〜5年間続きました」

——どういった経緯で改善していったんですか。

今井氏とともにD×Pの共同代表を務める朴基浩氏は大学時代からの盟友

今井氏とともにD×Pの共同代表を務める朴基浩氏は大学時代からの盟友

「現在、僕と一緒にNPOの共同代表をやっている朴基浩(ぱくきほ)との出会いが大きかったと思います。別府市にある立命館アジア太平洋大学の同級生で、大学では顔見知り程度だったのが、温泉に行って仲良くなったんです。『自分のことなんて、誰も理解してくれない』と愚痴をこぼしていたら、朴に『でも自分で行動しないと何も変わらないよね』と言われました。確かにそうだと思った。これが僕にとっての転換点でした」

「大学2年生の終わりに、バックパックを背負って東南アジアに1ヶ月行こうと決めたんです。事件の後は、また海外で何かがあったら批判されるんじゃないかと思って、好きだった海外旅行に行けなくなっていたんですね。空港では足がふるえていたんですが、いざ行ってみると、マレーシアの国内を旅行して充実した1ヶ月間を送ることができて、それで自信を取り戻し始めました」

——対人恐怖症が4〜5年続いたということは、すぐに治ったわけではないですよね。

「転換する途中の時期が1年くらいあったと思います。その時期は、自分の過去の経験を話しながら泣くことが多かったですね。あとは就職活動でも鍛えられました。100社にエントリーして80社くらいの面接を受けたと思いますが、面接でのやり取りで事件のことをかなり突っ込まれたんです。落ち込むこともありましたが、自分が変わるきっかけになりました」

——大学卒業後は専門商社に就職されましたが、入社の1ヶ月前に現在のNPOの前身になる任意団体を立ち上げていますね。社会起業に向けて計画的に準備を進めていたんですか。

「いや、その頃は自分でも何をやりたいのか分かっていなかったです。現在は通信制高校の生徒に向けてプログラムを提供していますが、当時は若手社会人や大学生向けに行っていました。若者のために何かしたいという漠然とした思いはあったんですけど、この活動が何かの問題解決につながっているという確信は自分でも持てていませんでした」

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