チンパンジー研究で分かった人間の子育ての本質〜松沢哲郎氏に聞く

 記憶に残らない時期の愛情が人間の土台を作る

——チンパンジーの行動は、野生下と飼育下ではどのように違うのでしょうか。

「一般的に飼育下では行動のバリエーションは広がります。ただ、群れから隔離されて人間に育てられたチンパンジーは、チンパンジーでも人間でもない存在です。実は、動物園で子どもを出産したチンパンジーのうち半数くらいは育児を拒否してしまうんです。霊長類研究所にはパンとパルという母子がいますが、パンは赤ちゃんが泣いた時に授乳をするのではなく、赤ちゃんの口に自分の指を突っ込んでいました。これは野生ではありえないことです。一方、1歳の時に西アフリカから霊長類研に来たアイは、ほとんど私たちの手を借りずに息子のアユムを育てました。短期間であっても、幼少期にアフリカの森で母親と一緒に過ごす時期があったのが大きいのかなと思います」

13人のチンパンジーが暮らす京都大学霊長類研究所の屋外放飼場(愛知県犬山市)

13人のチンパンジーが暮らす京都大学霊長類研究所の屋外放飼場(愛知県犬山市)

——人間なら1歳の時の記憶は大人になるまで残っていないので、不思議な気もします。

「記憶に残っているかどうかは問題ではなく、その時にどのような体験をしたかが問題なのでしょう。幼少期の子どもにとっては、周囲の大人たちが信頼できる対象だと思えることが何より重要で、さまざまな教育はその信頼の上に成り立っていくものだと私は考えています。その頃に虐待と言われる行為を受けていると、仮に成長した時にその記憶は残らなかったとしても、その後の人生がずいぶん違ってくると思います」

——子どもから母親をはじめとする大人たちへの信頼が重要なのは、人間もチンパンジーも同じでしょうね。

「もっと平たい言葉で言うと、愛情深く育てられた子どもは愛情深い人間になると思いますね。1歳で体験したものが2歳の時代を作り、2歳で体験したものが3歳の時代を作る。そうして積み重ねることによってしか人間は成長できません。その土台となる幼少期は、自然な、本来あるべき姿であった方が良いはずです。先ほどの話に戻って言えば、複数の大人が複数の子どもたちを協力して守り育てる、それが人間のあるべき姿なのではないでしょうか」

——現在の先進国における子育てのあり方は、多くの場合、そうなってはいないように思えます。

「都会の高層マンションの一室に母親と子どもが隔離されていて、夜遅くにならないとパートナーが帰ってこないような生活は、進化の過程で身につけた本来の暮らしからはかなり遠いものになっていますよね。野生下よりも飼育下に近いという意味で、現代人の生活様式を自己家畜化と表現することもあるほどです。本来ならお母さんの両親、あるいは兄弟姉妹、地域の人たちのサポートがあれば良いのですが、なかなかそうはならないのが難しいところです」

「野生のチンパンジーを研究するためにギニアのボッソウを毎年訪問していますが、そこでの人々の暮らしには何の違和感もないですよ。ボッソウではバナナやお米がとれるので飢えて死ぬことは絶対にないし、たくさんの子どもがいて、老後の面倒も見てくれます。全然働かない大人もたまにいますが、兄弟姉妹などがご飯を食べさせてあげるので、ホームレスの姿はありません。現代の日本から見てこれ以上幸せな国がありますか? ある時、ふと日本に帰るのが怖くなったことがあります。人間にとってのチンパンジーにせよ、日本人にとってのギニア人にせよ、アウトグループは『何か違う考え方をすべきですよ』と言っている気がします」

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