「エビデンスベースト」が日本の教育を変える〜中室牧子氏に聞く

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統計データなどの科学的根拠に基づいて政策判断などを行うことを指す「エビデンスベースト」(evidence based)という言葉は、日本の教育関係者にとって聞き慣れないものかもしれない。そもそも教育の分野には、数値による効果測定自体がなじまないと見る向きもあるだろう。しかしながら、これまでエビデンスを軽視してきたことは、裏を返せば日本の教育の大きな「伸びしろ」を示している可能性もある。教育経済学を研究する慶応大学SFC(湘南藤沢キャンパス)の中室牧子准教授に、教育分野における「エビデンスベースト」の重要性について聞いた。

 少人数学級か、iPadか、奨学金か

——先生が専門にされている教育経済学とは、どういった学問ですか。

「教育経済学は、教育政策の費用対効果を統計的に分析・評価するものです。ある政策に効果があるというエビデンスがあれば、そこから広げていくことができますよね。日本だと学力テストをやること自体が序列をつけると言って反対されることもありますけど、私は米国のコロンビア大学で教育経済学を学んで日本に帰ってきてから、エビデンスベーストを徹底しないといけないと言い続けています」

——たしかに日本では教育を主観的に評価する人が多い印象があります。

「現在の日本経済の状況を考えると、学校の教員を1人増やすには警察官や消防士を1人減らさないといけないし、学校を新しく建てるには、病院を新しく作ることをあきらめなければいけないかもしれませんよね。そういうトレードオフの関係がある中で、教育だけが絶対にお金をかけられる聖域ではないと思うんです。お金をかけるならより効果が高い投資として行うべきだというのが、教育経済学の基本的な考え方です」

——米国ではそうした考え方は一般的なのでしょうか。

「米国には2002年に成立した『No Child Left Behind Act』(落ちこぼれ防止法)という法律があるんですが、この法律の中で『scientifically based research』(科学的な調査研究)という言葉が111回も使われているんです。簡単に言うと、科学的な裏付けがないと教育政策に予算はつけないということです。州などが新しい教育政策をやろうと思ったら、まず学校など小さい単位で社会実験をして、成果が出たら投資をして大きく広げるというのが一般的になっています」

——どういった教育政策の費用対効果を分析するのでしょうか。

「興味深い研究がたくさんあります。例えば80年代にテネシーの幼稚園と小学校で行われた研究では、最適なクラスの規模が評価されました。子どもたちを13〜17人のクラス、22〜25人のクラスに抽選で分けて、事前・事後でテストをして偏差値をとったところ、13〜17人のクラスの方が成績が良かった。もっと小さいクラスもありましたが、この真ん中のクラスが一番良かったんです。そこでこれが最適なクラスサイズだということで、少人数学級が全米に広がりました」

「最近では、iPadなどのタブレット端末を教科書として使った子と、紙の教科書を使った子のどちらが成績が良かったかを調査した研究があります。結論から言うと差はありませんでした。差がないというのもとても重要で、タブレットは1台5万円以上、紙の教科書は1冊300円くらいなので、効果に差がないなら紙の教科書を使いましょうということになります。仮にタブレットの方が効果があったとすれば、生徒の偏差値を1上げるためにいくらコストがかかるのか、それを全国に広げればいくらかかるのか、電卓があれば計算できます。こうした知見を積み重ねれば、クラスサイズを縮小するのか、タブレットを配るのか、奨学金を出すのか、すべて横並びにして比べられるはずです」

——日本では社会実験をすること自体が不平等だと言われるかもしれませんね。

「そうですね。同じ世代の中でタブレットをもらえる人ともらえない人がいる、この一時的な不平等は日本ではとても受け入れ難いようです。一方で、ゆとり教育のような政策による世代間の不平等は見過ごされがちです。全体主義的な教育政策が10年後に間違っていたと分かった時の被害は甚大です。日本でも小さいところで社会実験をして効果が分かったものを全体に広げていくというスタイルにしないと、ゆとり教育の二の舞いになってしまいます」

——ここ数年で、日本では教育格差についての議論が増えたように思います。

「親の学歴が高い子どもの学歴は高い、この事実は無数の研究の中で明らかになっています。親の学歴が高い世帯は、総じて世帯収入が高いこともあって、塾や習い事など学校以外の教育にもお金をかけられる。そうすると、高学歴・高収入の親を持つ子どもは自分も高学歴・高収入になるチャンスが多いけれども、そうでない親を持つ子どもはチャンスが少ない。子どもの学力は、50%程度が家庭環境の要因によって説明されることを明らかにした研究(*1)もあります。また、2002年に学校週休2日制が導入された際、貧困世帯の子どもは勉強時間が減少し、学力が低下したことを明らかにしている研究(*2)もあります。親の社会経済的な地位が子どものライフチャンスにストレートに反映されるような制度というのはフェアとは言えません。教育格差の親子間連鎖が進むような政策や制度変更には慎重になるべきだと思います」

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*1: Hojo, M. & Oshio, T.(2012).What factors determine student performance in East Asia?: New evidence from TIMSS 2007. Asian Economic Journal, 26(4),.333-357.
*2: Kawaguchi, D. (2013).Fewer school days, more inequality.
URL: http://gcoe.ier.hit-u.ac.jp/research/discussion/2008/pdf/gd12-271.pdf

 



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