チンパンジー研究で分かった人間の子育ての本質〜松沢哲郎氏に聞く


 チンパンジーの道具使用と「学習の臨界期」

——チンパンジーはさまざまな道具を使いますが、一定の年齢をすぎると道具の使い方を新たに覚えにくくなるそうですね。

「私たちが観察しているギニアのボッソウのチンパンジーは、石器を使ってアブラヤシの種を割ります。女の子では3〜4歳、男の子では4〜5歳でできるようになるのですが、石器使用ができない大人のチンパンジーもいます。他の群れから来たチンパンジー、つまり石器を使わない群れで育ったチンパンジーです。ヤシの実を杵でつく、葉っぱを使って水を飲む、といった道具使用にも同様の傾向が見られます。彼らが能力を習得できなかったのは『学習の臨界期』と呼ばれる時期を過ぎたためと考えられます」

——学習の臨界期について、道具使用のほかにはどのような事例があるのでしょうか。

「臨界期は基本的に対照実験ができる実験室の中で見つかっていて、自然界では観察しにくいんです。有名なのはローレンツ(*4)が発見した事例で、ハイイロガンのヒナがある時期に目にした動くものを母親だと思い込む、いわゆる刷り込みですね。これも彼が実験中に自分の目の前で卵を孵化させたために気付いたことです。チンパンジーでも道具使用のほかに色々なものがあると予想されますが、実例を挙げるのはなかなか難しいところがあります」

——人間の場合は、どういったところに学習の臨界期が存在すると考えておられますか。

「人間に関して言えば、言語獲得において臨界期が存在するのは明瞭だと思います。外国語を学習する場合に、文法は中学校や高校で習ってもある程度まで身に付きますが、音を作るところ、特に調音と撥音(*5)については、5〜6歳を過ぎるとネイティブのようにはなりませんよね。厳密には臨界期とは言えないかもしれませんが、学習能力の高いセンシティブな時期があって、その時期を過ぎるとその道で一流になるのが難しいようなものもかなりあると思います。将棋やそろばん、ピアノ、バイオリンなどはそれにあたるのではないでしょうか」

——絶対音感などもそういった能力の1つかもしれませんね。

「音楽に関する能力は理解しやすい事例でしょうね。記憶に関しても、例えばテストの直前に英単語を覚えておくような短期記憶と、長期的に知識を蓄えておく長期記憶では能力のピークが異なります。長期記憶は大人になっても衰えず、知識の量を増やすことができますが、短期記憶の能力は10代の前半がピークで、そこからどんどん落ちていきます。神経衰弱で子どもの方が大人よりも強いことがよくあるのは、こうした事情からです」

——案外、小中学生のうちに様々なことを暗記するのは理に適っているのでしょうか。

「そうですね、知識の詰め込みと言って批判的に捉えられがちですが、10代までにさまざまな新しいことを記憶させようとするのは、あながち間違っていないかもしれません。はっきりと言えるのは、人間の能力は右肩上がりではなくある年齢を境に変わってくるので、それぞれの発達段階に即した刺激を適切な時期に与えないといけないということです。これは知識に限った話ではなく、情操教育や倫理教育についても、幼いうちに学ばないと身に付かないという可能性はあります」

チンパンジーの人形

(次のページは 記憶に残らない時期の愛情が人間の土台を作る


*4: コンラート・ローレンツは20世紀に活躍したオーストリア出身の動物行動学者。
*5: 調音は舌や唇などの器官を動かして作り出される子音や母音、撥音は日本語で「ん」「ン」、英語で「m」「n」「ng」などと表記される鼻腔の共鳴を伴う子音のこと。

 




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