「住職の学校」に見るニッチ教育の可能性〜松本紹圭氏に聞く


 「自分は死ななきゃいけない」という学び

——松本さんがもし子ども向けの教育に取り組むとしたら、どういったことをしたいですか。

「自分にも2人の子どもがいるので、うちの子にどんなことをさせたいのかなと考えると…インドとかに連れて行きたいですね。実際にインドへの留学を決めたのは上の子が1歳の時だったので、一緒に連れて行っていました。インドでは信号待ちをしている間にもお金をくれと言われますよね。例えば10ルピーを渡して何か変わるわけではないかもしれませんが、傍観者にならず、そういった人に共感できる力を身につけてほしいと思います」

「生まれたばかりの赤ちゃんは、10年前や20年前に生まれた赤ちゃんとそう変わらないはずです。子どもたちが昔と変わっているのは、大人を見て育っているからだと思います。子どもたちの共感力、相手のことを思いやる力がなくなっているとしたら、それは大人に原因があります。格差社会と言われるように、実は日本でも6人に1人が貧困の中で育っていますが、同じような境遇の人としか付き合わず、苦しい人がいるということを知らずに育つ子どもたちが多いように感じます。分断されているセグメント同士を交流させたいですね」

——道徳教育についてはどのような意見をお持ちですか。

「私自身は、こうしないといけないという感覚自体をあまり持ち合わせていないし、お坊さんだからこうあるべきというのもあまりないです。自分なりの価値観を探究することはもちろん大事ですが、これこそが私の意見だと思っているものが、気付かない間に刷り込まていたり、ともすれば自分自身で押し付けていたりすることがあるじゃないですか。私はむしろ教科にすると言われているような道徳は相対化したいですね。ところ変われば道徳変わる、そういった感覚になってほしいと思います」

——お寺はもともと人を育てる場所だったという話がありましたが、その機能を回復するためには何が必要なのでしょうか。

「育てる場所というと育てる主体が必要のように聞こえますが、育っていく場、磨き合う場と言っても良いと思うんです。仏教では、師についていく師弟関係だけでなく、『サンガ』という同じ道を歩む仲間を大事にしようという考え方があります。お寺での教育を考える場合、サンガのようなコミュニティーをどうつくるかが大事だと考えています」

「今の日本の仏教は『葬式仏教』だと揶揄されることがありますが、人の生き死にのぎりぎりのところに関わり続けてきたことは、お寺にとって非常に意味のあることです。人にとって一番大きな学びは『自分は死ななきゃいけない』という事実に向き合うことだからです。やがて全部手放さないといけないということは、生きているうちの実践につながり、人生を豊かにすると思います」

——これまでの人生の中で何か具体的な経験があったんでしょうか。

「瀕死の重傷を負った人、あるいは震災で九死に一生を得た人が、残りの人生はもうけものだと感じたという話がよくありますよね。そういった形で死から気づきを得る場合もありますが、私の場合は死にかけた経験があるわけではありません。仏教というのは、実際に死にかけた経験がなくても日常の中に死を見ていくための方法論なんだと思います」

——松本さん自身は今でも死ぬのが怖いと思うことはありますか。

「それはありますね。一番思うのは夢を見ている時です。夢の中で殺されそうになる時はやっぱり逃げている。家族と別れないといけないのも悲しいことですし、それを平然と受けいられる精神状況では全くないです。でも昔みたいな怖さはなくて、だんだん自分がどうでもよくなってきているというか、自分というものを失ってきたという感覚があります。実際の現場になったら夢で見るように『死にとうない』と思うかもしれませんが、死んだらそれまでだよなと思うところもある。仏教には安心(あんじん)を得るという言葉があります。自分なりにそれにふれているのかなと思います」

(文:荒木勇輝、写真:吉田亮人)

【プロフィール】
松本氏プロフィール写真
松本紹圭(まつもとしょうけい)
1979年北海道生まれ。本名、圭介。東京大学文学部哲学科を卒業後、浄土真宗本願寺派の僧侶となる。2010年にインドに留学し、Indian School of BusinessでMBAを取得。帰国後、お寺の経営を指南する「未来の住職塾」を立ち上げる。2013年には世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出された。近著に「お寺の教科書−未来の住職塾が開く、これからのお寺の100年−」がある。
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